ゆめ、1歳の誕生日

8件のコメント

2011年10月1日。
ゆめは1歳の誕生日を迎えた。

この写真は、1年前の10月1日。
ゆめの母親のチャチャは、自分で掘った穴の中でゆめを出産したのであった。

101001_チャチャの5匹

1番真ん中にいる色の濃い子犬がゆめだ。
1年前はこんなに小さく、かよわい姿だったということに驚きを感じる。

20111001_ゆめの誕生日_004

20111001_ゆめの誕生日_006

20111001_ゆめの誕生日_007

20111001_ゆめの誕生日_010

この4枚の写真は、いずれも10月1日に撮影したものだ。
生まれた直後と比べると、いかに立派に成長したかが一目瞭然だ。
出産時のチャチャの姿とも似てきており、感慨深い。
その姿は、今は亡きチャチャの忘れ形見でもある。

yume_weight

我が家に来てから、1歳の誕生日を迎えるまでの体重変化のグラフである。
来たときは生後2か月半。体重は4.6kgしかなかった。
それがいまは14kgちょうどである。
グラフを見ても、ゆめの成長の足取りを振り返ることができる。

20111001_ゆめの誕生日_013

めでたい誕生日。
せっかくなので、ゆめを「smiley smile」というドッグカフェに連れてきた。

このドッグカフェは、我が家から歩いて行ける距離にあり、ゆめが散歩デビューしてすぐのころに連れてきたことがある。
ゆめの初ドッグカフェ・1ゆめの初ドッグカフェ・2

20111001_ゆめの誕生日_017

カップケーキを誕生日ケーキ風にアレンジしていただいた。

20111001_ゆめの誕生日_020

ゆめをケーキを前にしても、大喜びすることはなく、落ち着いてケーキを見つめていた。
もちろん、しっかりと完食した。

20111001_ゆめの誕生日_024

ケーキを食べてくつろぐゆめ。
凛々しげな顔はすっかり成犬のものである。

こうして、ゆめが無事に1歳を迎えたことに感謝の気持ちを込めてお祝いしたい。
お誕生日おめでとう。ゆめ。

広告

チャチャ・7

5件のコメント

2010年12月18日。
ゆめは私のもとにやってきた。

やはり、「くろこ」は「ゆめ」であった。
ウブさんからそのことを聞いたときは、自分の予感が的中したことを知り、うれしさは何倍にもなった。

ゆめがやってきてからのことは、いままでこのブログの記事に書いてきたとおりだ。

ゆめは、まさに私に夢を与えてくれた。
日々の成長は目まぐるしく、毎日のように新しい発見と驚きを与えてくれた。
いっしょに過ごす日々のひとつひとつのことが、たまらなく楽しかった。
自信を無くしていた私を、全身で受け入れて元気づけてくれた。
そして、それはいまも続いている。

ピースとの生活はもう8年が過ぎ、マンネリ化していたのは否めなかった。
しかし、ゆめがやってきたことで、ピースとの関係にも新しい風が吹きこんだかのようだった。
彼がこれまで見せることがなかった、さまざまな面が明らかになった。
老いの兆しも影をひそめ、若々しささえみせるような時もある。

そんな日々を過ごしていると、私が「獣医師になる」と志したときの初心を思い出すことができた。
それは、「動物が好き」であり、「動物のことを学びたい」という気持ちであり、「獣医師として動物に関わる仕事に就きたい」という目標であった。

もう迷いはなくなった。
私が私である以上、自分の偏った特性や能力的な欠落は変えることはできない。
自分のさまざまな欠点を認めた上で、自分の長所を獣医師としてどのように役立てていくことができるのか、それを考えていこうと思えるようになった。
そのためには、日々をまじめに生きていくこと。
ひとつひとつの課題を着実にこなしていくこと。
その積み重ねが何よりも大切なことなのだと考えている。

ゆめが与えてくれたものが大きければ大きいほど、ゆめと過ごす日々が楽しければ楽しいほど、私がチャチャに対して抱く想いはさらに強くなっていった。

ゆめは、私に計り知れないほど多くのものを与えてくれた。
そして、そのゆめを産み育ててくれたのは、ほかならぬチャチャである。
目標を見失い、落ち込んでいた私を助けてくれたのは、チャチャであるともいえる。

チャチャは、私の中で限りなく大きな存在になっていた。
例えるならば、その存在はもはや「女神」であった。

私にとってのチャチャが、これほどまでに大きな存在になってしまったのは、私がチャチャに会うことなく、私にとって遠く離れた存在だったためだと思う。
もし、私がチャチャに会って感謝の気持ちを直接伝えることができていたならば、彼女への想いがこれほどまでに大きく膨らむことはなかっただろう。

それに、チャチャ遠く離れた存在であるがゆえに、彼女が1頭の犬であるという事実が薄れ、理想化したイメージが大きくなってしまったのかもしれない。
チャチャの犬らしいところ、例えば、散歩中におしっこやうんこをする姿、おやつを前にしてヨダレを垂らす姿、ときには脱走して飼い主を困らせる姿などを、すぐそばで見ていたとしたらどうだっただろうか。
感謝の気持ちがいくら大きかったとしても、理想化したイメージを抱くことはなかったのかもしれない。

ゆめと過ごしているとき、私はいつも、ゆめの中にあるチャチャの面影を探していた。
それは、楽しいひとときだった。

私の記憶の中には、いつもチャチャの姿があった。
東京の王国にいたころのチャチャのイメージだ。
その記憶と、目の前にいるゆめの姿を比べては似ているところを探していた。

手元にある、いろいろなチャチャの写真。
子犬のころの姿、若かったころの姿、母親になった姿。
穏やかな顔、厳しい顔、甘えた顔。
その中には、私が知らなかったチャチャの姿もあった。
それらの写真と、ゆめの姿とは似ている部分がとても多く、見つけるたびにうれしく思っていた。

ゆめは成長するごとに、チャチャと似ている部分が多くなっていった。
毛色や耳の形、尻尾の巻き方、顔立ちなど、数えきれないほどだ。
「成犬になるころにはどれほどチャチャに似た姿になるのだろうか。」
そんなことを考えながら、日々成長していくゆめの姿を見るのが楽しかった。
そして、近いうちに成長したゆめを連れて北海道を訪れ、チャチャに再会することを何よりの楽しみにしていた。

私は、ゆめとチャチャの感動の再会を期待していたわけではない。
確かに、2頭が再会した時にお互いにどんな態度をとるのか、とても楽しみにしていた。
仲良く遊ぶのだろうか、あるいはチャチャがゆめを一喝して追い払ってしまうのだろうか。
いろいろな想像を巡らせてはいたが、正直なところそれはどちらでもよいことだった。
私は、チャチャとゆめが再会することそのものに意味があると考えていた。

自己満足だといわれればそのとおりだが、私にとってはとても重要なことだった。
立派に成長したゆめを、チャチャの前に連れて行って再会を果たすことが、彼女にありがとうを伝えるひとつの方法になると思っていた。
もちろん、犬には「自分たちが親子である」というような客観的な認識をすることができないのは、よく分かっていた。
しかし、チャチャがゆめを「自分の子」だということが理解できなくても、「大人のメス犬」であるという認識はもつことができたはずだ。
チャチャが他のメスの成犬に対するときと同じ態度を、ゆめに対しても取ったとすれば、それはゆめが立派に成長したと、チャチャから認められたことになると思っていた。

そして、何よりも私自身がチャチャに再会して、ありがとうの気持ちを伝えたかった。
もちろん、チャチャに対して「ありがとう」と声に出して伝えたところで、彼女はその言葉の意味を理解することはできない。
それでも、言葉に込めた感情や想いは、少なからず伝わるに違いないと信じていた。
彼女に対して、心を込めて向かい合い、何回でも「ありがとう」と話しかけたかった。

極端にいえば、チャチャのために何かおいしいものを持っていき、それを食べて喜んでいるところを見るだけでもよかった。
いっしょに散歩に出かけて、元気に走り回っているところを見るだけでもよかった。
チャチャに対しての「理想化したイメージ」ばかりを膨らませるよりも、実際に出会って彼女の「犬らしい」部分をたくさん知りたかった。

しかし、ゆめとチャチャの再会も、私がチャチャに感謝を伝えることも、その姿を一目見ることすら叶うことなく、チャチャは逝ってしまった。

このことを考えると、1ヶ月経ったいまでも、胸がたまらないほど苦しくなる。
どうしようもなく涙があふれてくる。

でも、悲しみよりも、感謝の気持ちの方が大きくなっている。

チャチャが私に見せてくれた姿は、私の心に刻まれている。
チャチャというすばらしい柴犬が、この世に存在していたことを、私は一生忘れることはない。

ゆめの中には、チャチャの血が流れている。
ふとした瞬間にゆめが見せる表情や行動、それはびっくりするほどチャチャに似ている。
私はそんなとき、ゆめに向かって思わず「チャチャ」と呼びかけてしまう。
ゆめの中には、確かにチャチャが生きている。
「チャチャ」と呼びかけたとき、ゆめは不思議そうな顔をしてこちらを見上げるが、私はゆめの中に生きているチャチャに向かって、これからも声をかけ続けるだろう。

最後に、私はチャチャに対して「ありがとう、そしてグッバイ」という言葉を贈りたいと思う。
ウブさんが、亡くなってしまった生き物たちに対して、いつも贈っている言葉だ。

私はかつて、「なぜこの言葉なのだろう」と考えたことがあった。

「ありがとう、そしてさようなら」という言葉でない理由は何となく分かっていた。
「さようなら」には、「それでは、また会おう」という意味があるそうだ。
これは、永遠の別れである「死」に対して用いるには不適切だ。

一方、「グッバイ」には、「Good bye」(良い別れ)という意味と、「God bye」(神がそばにありますように)という意味の、両方が込められているという。
「死」に対して用いる言葉としては、こちらのほうがふさわしい。

しかし、長い時間を共有した命に対して、「ありがとう」と「グッバイ」という短い2つの言葉を贈るだけで、本当によいのだろうかと感じていた。
ともに過ごした時間を想い、もっと長い言葉を贈ってもよいのではないかと思っていた。

いまになって、ようやくそのことが理解できたような気がする。
ともに過ごした時間がどれだけたくさんあったとしても、その時間を与えてくれたことに対して感じることができる気持ちといえば、「ありがとう」しかない。
「ありがとう」の気持ちを伝えたうえで、「グッバイ」といって別れるのだ。
ともに過ごした時間は、その命が与えてくれたかけがえのないものとして、そっと胸にしまっておくのがふさわしい。

私が、チャチャに会ったことのある時間は、ほんのわずかでしかなかったのかもしれない。
しかし、その時間はかけがえのない大切なものだった。
そして、チャチャが私に与えてくれたものは、計り知れないほど大きかった。

そのすべてに感謝し、そして別れを告げよう。

「ありがとう、そしてグッバイ、チャチャ」

チャチャ・6

コメントをどうぞ

2010年10月1日。
チャチャは5回目の出産を迎えた。
そして、これが彼女の最期の出産になってしまった。

出産予定日より4日以上も早い出産だった。
チャチャは、自分で掘った穴の中で、たったひとりで出産を遂げた。
見事な母の姿である。

私がチャチャの出産を知ったのは、彼女が出産を迎えてからしばらく経ったころだった。
ウブさんのHPを訪れると、10頭の柴犬の子犬たちの姿を見ることができた。
私は最初、チャチャが10頭もの子犬を産んだのかと思ってしまったが、そうではなかった。
チャチャの娘のハコも、チャチャと同じ時期に出産を迎えたのだった。
2頭の母親による、10頭の子犬の共同育児だった。

そのときは、チャチャの子犬を我が家に迎えることを、まだ考えてすらいなかった。
そのころの私は、まさにボロボロな状態であった。

大学での学問に、矛盾を感じていた。
日々の人間関係に、追いつめられていた。
さまざまなことに、自分の限界を感じていた。

自分が偏った特性を持っており、欠けている能力も多いことを知ったばかりだった。
将来、獣医師として仕事をこなしていくことができるのかどうかは、全く分からなかった。
どんな形であれ獣医師になるという目標は変わってはいなかったが、大きく自信を失っていた。

半年間の休学を決めたものの、明確な目標が定まっているわけではなかった。
復学を果たすためにやらねばならないことはたくさんあったが、なかなか手を付けることができずにいた。

そんな状態ではあったが、2頭の母親姿や、子犬たちの成長を見ていると、元気になることができた。
写真を見るだけでも、にぎやかな共同育児の様子が伝わってくるようだった。

その子犬たちのうちの1頭を、我が家に迎えるという話が出たのは、ほんのささいな偶然がきっかけだった。
それは、あまりにもささいなことであるため、詳しく書いて説明することができないほどだ。
確かに、子犬を迎える理由を探そうと思えばいくつか見つけることができる。
ピースが老いを見せ始めたこと、もう1頭を迎える時間的余裕が生まれたことなどである。
しかし、それらはどれも直接的な理由ではなかった。
子犬を迎えることが決まったのは、あくまでも偶然の組み合わせの結果だったといえる。

もし、私が休学を決めていなかったら、その偶然は起こらなかっただろう。
日々のことに追いつめられ、とてもそんなことを考える余裕は生まれなかった。
出会いというのは、ささいな偶然の組み合わせの上にあるのだと感じた。
「縁」とは不思議なものである。

1頭のメスの子犬を譲ってもらえるという話を、ウブさんから頂いたときは、もう飛び上がりたいぐらいのうれしさだった。
喜びで全身がつつまれるような感覚を覚えるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

それ以来、楽しみでたまらない日々が続いた。
毎日のように、ウブさんのHPを見ては、子犬の成長の様子を眺めていた。
それまでの、目標が定まらずに暗鬱とした日々とは、大きく異なっていた。
まるで、心の中の暗雲に、一筋の光が差し込んでいるような感覚だった。

いろいろな準備を始めた。
子犬を迎えるのに必要な準備はもちろん、私自身が前に進むために必要な準備も少しずつ始めていった。
自分をとりまくさまざまな関係や物事。そのひとつひとつを見つめなおし、私はこれから何をすべきなのかを、整理していった。
立ち止まって悩んでいた場所から、一歩ずつ進むことができていると感じた。

このブログを始めたのもそのころだ。
ゆめの成長記録をつけるのが一番の目的だったが、私自身の考えを整理し、発表する場としての目的も大きかった。
いま、こうしてチャチャへの想いを書いているのも、このブログという場がなければ、おそらく起こりえなかったことだ。

「メスの子犬」ということは決まっていたが、まだチャチャの子になるか、それともハコの子になるかは決まってはいなかった。
しかし、私はすでに1頭の子犬に心惹かれていた。

101011_チャチャ

これは生後10日を迎えたチャチャの子犬たちの写真である。
左から4番目の子犬だけ色が濃く、ひときわ目立っている。
ハコの子も含めた10頭の中で、一番色が濃く、一番体の大きいそのメスの子犬は、「くろこ」という仮の名前を貰っていた。

101103_立ち上がりチャチャっ子

これは生後1ヶ月ごろの写真だ。
口吻が一番黒いのが「くろこ」である。

ウブさんは、毎日HPに子犬たちの写真を掲載してくれていた。
その写真の子犬たちの中で、「くろこ」はひときわ目立っているように感じられた。
単に目立つ姿をしているというだけでなく、一番前だったり、一番真ん中だったりと、目立つ位置で写っていることが多かった。
この写真でも、「くろこ」が写っているのは一番前かつ一番真ん中である。

子犬たちの写真を見るたびに、「くろこ」が「ゆめ」であってほしいという思いは強くなっていった。
でも、ウブさんにあえてその気持ちを伝えるつもりはなかった。
確かに、「くろこ」に心惹かれてはいたが、他の子犬たちもみんなすばらしくかわいかった。
どの子になったとしても、うれしさは全く変わることはないので、そこは自分から働きかけることはせずに偶然に任せようと思っていた。
でも、なぜだか分からないが、私の中には「くろこがゆめになるに違いない」という、根拠のない予感があった。

日々、2頭の母親と子犬たちの写真を見ていると、チャチャに対する想いはどんどん強くなっていった。
その想いは、子犬たちを産んでくれたことへの感謝、そして我が家に迎えることになる子犬を立派に育てあげてほしいという期待である。

チャチャとハコは同じように育児をしていたというのに、なぜチャチャへの想いだけが強くなったのか。
心惹かれていた「くろこ」の母親がチャチャだという理由もあった。
しかし一番の理由は、私はハコにほとんど会ったことがないのに対し、チャチャには東京の王国にいたころに何度も会っていたということだ。

東京の王国で会っていたころから抱いていたチャチャへの3つのイメージ。
「遠くからこちらを見て警戒している姿」
「時々見せてくれる親しげな姿」
「子犬を産み育てる母としての姿」
私が記憶していたチャチャの姿を、そのとき育児をしていた彼女に重ねていた。

なかなか気を許してくれず、遠くからこちらを警戒していたチャチャ。でも、その姿はとてもかっこよかった。
仲良くなっても、甘えるようなそぶりを見せることはなく、彼女との間にはいつも一定の距離感があった。でも、そんなときにこちらを見つめる瞳は、ちょっぴり優しげだった。
母親になったチャチャ。子犬たちを抱いている時の優しさと強さを兼ね備えた姿は、本当にすばらしかった。
東京の王国で会っていたころには気が付かなかったが、私はチャチャのことが大好きだったのだ。

そんなチャチャが腹を痛めて産んでくれた子犬、母として身を削って育ててくれた子犬を、我が家に迎えることができるのだ。
感謝の気持ち、期待の気持ちは計り知れなかった。

(続く)

チャチャ・5

コメントをどうぞ

北海道への訪問を終えてからも、犬たちの様子についてはウブさんのHPで、ときどき情報を得ていた。
HPの掲示板では、ときどきチャチャについての話が出ることもあった。

2010年1月の出産は記憶に新しい。
この時が、チャチャが北海道に戻ってからの初めての出産だった。
HPの写真から、チャチャの見事な母親ぶりを知ることができた。

しかし、この出産の出来事以外でチャチャの話が出るときは、彼女が脱走したという知らせばかりだったように思う。

散歩の途中で姿が見えなくなり、その後、川に落ちて身動きが取れなくなっているところを救出されたという話。
数日間の脱走から帰ってきた時に、チャチャが足を怪我したふりをしたという話。
おやつの盗み食いをしたが、頭からおやつの袋から外れなくなり、そのまま迷子になってしまったというマンガのような話もあった。

私は、それまでチャチャは慎重な犬だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしいことを知った。
見かけによらず、大胆なことをしでかすものだと、苦笑したのを覚えている。

いま私の手元には、このころのチャチャの写真が数枚ある。
その写真を見ていると、私が知っていたチャチャの姿は、彼女のほんの一部でしかなかったことを思い知らされる。

チャチャ救出後

この写真は、脱走して川に落ちた後、救出されたのときのものだ。

きっと、川に取り残されて心細かったのだろう。
救助されたことへのうれしさとともに、ちょっと甘えているような表情をしている。

私は、チャチャのこんな表情を、実際に見たことはなかった。
きっと、大好きな飼い主に対してだけ見せる表情なのだろう。

100427_チャチャ

脱走から帰ってきたときに、足を怪我したふりをしている時の写真だ。

その顔は、なんだか困ったような、ばつが悪そうな表情をしている。
足を怪我したふりをいるのも、彼女なりの「ごめんなさい」の気持ちの表れなのかもしれない。
この写真を見ていると、そんなチャチャがとてもかわいく思えてくる。

他にも、私が知らないチャチャは、まだまだたくさんいるに違いない。

私が、たくましいと思っていた母の姿でさえ、そうではない部分があったことを知った。
ウブさんによると、チャチャは出産時の陣痛の痛みに耐えられず、鳴き声をあげてしまうこともあったのだそうだ。
その話を聞いたとき、私が持っているチャチャへの認識が、勝手なイメージの投影でしかない部分が多いことを思い知った。

結局のところ、私はチャチャについて何も知らなかったのかもしれない。
私は、チャチャとほんのわずかな時間を共有したに過ぎない。
その程度の短い時間で知ることができるものなど、たかが知れているのだ。
そんな私が、一人前にチャチャの死を悲しむことなど、おこがましいのだとさえ感じた。

でも、たとえ共有したのがほんのわずかな時間だったとしても、その時間が消えてなくなるわけではない。
私が、チャチャのほんの一部しか知らなかったとしても、その一部はチャチャであることに変わりはないのだ。
私は、私自身にとってのチャチャの思い出を、大切に持ち続けていきたい。

そして、私が知らなかったチャチャの姿は、彼女の忘れ形見であるゆめのなかに見出すこともできる。
川から救出された時のチャチャの表情は、散歩やごはんを期待して私を見上げるときのゆめの表情にうりふたつだ。
脱走から帰ってきたときのチャチャの顔は、私に怒られた後おずおずと近寄ってくるゆめの顔にそっくりだ。

そんな時、ゆめの中にはチャチャは確かに生きているのだと、感じることができる。
私の中にも、チャチャは記憶として確かにそこに生きているのだと、感じることができる。

(続く)

チャチャ・4

コメントをどうぞ

2009年の夏、私は北海道の中標津にある、ウブさんの家を訪れた。
東京の王国にやってきていた犬たちの多くが、北海道に戻った後はここで暮らしていた。
王国が東京での展開を終えてから、早くも2年が経とうとしていた。

このとき、私の一番の目的は、東京の王国で出会った犬たちとの再会を果たすことであったのは間違いない。
しかし、私はこの北海道に滞在する2週間ほどの間に、他にも予定を詰め込んでいた。
北海道の農業共済での実習、道東の自転車旅などである。
そのため、ウブさんの家を訪れた時間は、短いものになってしまった。

私はこの時チャチャに触れることすらしていない。
会った時間もほんの数十秒にすぎなかった。

あれは、犬たちの食事の時間だった。
私は、犬たちが食べ終えた食器の回収を手伝っていた。
ウブさんの家では多くの犬たちが鎖でつながれて飼われていたが、チャチャは鎖でつながれておらず、奥にある柵の中に入っていた。
食器を回収するため、柵の中に入った私に対して、チャチャは警戒して吠えだした。
記憶があいまいだが、確かこの時、チャチャのほかにもう1頭柴犬が柵の中にいたように思う。
チャチャと良く似た姿だったので、チャチャの娘のハコだったと思う。
ハコもチャチャといっしょに、吠えていたと思う。

もともと警戒心の強いチャチャである。
柵の中に見慣れぬ人がいきなり入ってたのだから、これは当然のことだといえる。
私は、チャチャやハコに対して、何か働きかけることをせずに、食器を回収しただけで柵の外に出てしまった。

時間があまりなかったとはいえ、もう一度柵の中に入り、チャチャやハコとあいさつを交わすのには十分な時間があった。
それをしなかったのは、他に思い入れのある犬たちや、喜んで歓迎してくれる犬たちがたくさんいたからだった。
自分に警戒の心を向けているチャチャたちに会うのは、どうしても後回しになってしまい、結局はそれをする前に帰るべき時間になってしまった。

それに、私の心には「またいつか会えるだろう」という気持ちがあった。
出会った犬たちの様子は、東京の王国で会っていたころとまったく変わらず、2年という時を感じさせなかった。
いつになるかは分からないが、またこの場所を訪れたときに、同じように犬たちに出会うことができるだろうと、なんとなく思っていた。

しかし、この時会った犬のうち、その「いつか」が来る前に亡くなってしまった犬たちのなんと多いことか。

ダーチャはメスのサモエドだ。
彼女は本当に人が大好きだった。
私がつながれていたダーチャのところに駆け寄った時は、鎖が引きちぎれるくらいの勢いで喜びを表現していた。
さらに近づくと、大喜びで飛びかかってきて、私の口を激しく舐めてくれた。
私は、彼女ほど激しく口を舐めてくる犬を他に知らない。
歓迎はとてもうれしいのだが、お互いの歯と歯がぶつかるので、痛いのを我慢しなくてはならなかった。

パエルもメスのサモエドだ。
このときはまだ3歳になっていなかった。
彼女も人に甘えるのが得意だった。
頭をなでると、耳を限界まで後ろに倒し、親しげな表情を向けてくれていた。

ミゾレはメスの柴犬だ。
チャチャの祖母に当たる犬だ。ゆめの曾祖母ということになる。
東京の王国では、のんびりとくつろいでいる彼女の姿が記憶に残っている。
このときも、同じようにのんびりと過ごしていた姿を覚えている。

センタロウは、オスのラブラドールだ。
彼の脱柵と首輪抜けによって、見事にメスを妊娠させた話は何度も聞いていた。
その話に似合わず、人に対してはいつも友好的なふるまいをしてくれた。
このときも、ラブラドール特有の気立てのよい瞳をこちらに向けていた。

上記した犬たちに、私が会ったのはこの時が最期になってしまった。
再会を果たすことはなく、みんな亡くなってしまった。

チャチャもその中の1頭だった。
このときを最期に、二度と出会う機会は得られていない。
「いつかまた会える」と思っていたが、その「いつか」はもう永遠にやってはこない。
私にとっての、チャチャに出会った最期の記憶は、柵の中に入った私を警戒して吠えていた姿である。

もし、この時がチャチャに出会える最期の時だということを知っていたら、私はどうしていただろうか。
近いうちにチャチャの子であるゆめを迎え、その感謝の気持ちを伝える機会が、今しか得られないと知っていたら、私はどうしていただろうか。

私は、チャチャが心を許し、警戒を解いてくれるまで、何時間でも柵の中で居座っただろう。

仲良くなっていろいろな想いを伝えたかった。
ゆめを授けてくれてありがとうと。

少しの時間でもいい、一緒に散歩に出かけたかった。
ひとかけらのジャーキーでもいい、私の手からおいしいものを受け取ってほしかった。

もう二度と逢えることがないと知っていたら、どんなささいなことでもいいから、同じ時間を共有していたかった。
警戒して吠えられたまま、こちらからなにも働きかけることもせず、別れるようなことは絶対にしない。

犬たちの一生は、人よりもはるかに短い。
若くて元気だった犬も、あっという間に老いの兆しを見せ始め、そして死んでいく。
亡くなることなど夢にも思わなかった犬が、突然の事故であっという間に逝ってしまう。

「いつか会える」などということを期待してはならない。
犬たちは「いつか」という未来への期待を考えることはせず、その時その瞬間を精一杯生きているのだ。
その犬たちに向き合うときは、私も同じように、その時その瞬間を大切にして、精一杯向かい合わねばならない。
二度と会えなくなる日が突然やってきたとしても、後悔することがないように。

この時のことを思い出すと、強い後悔の気持ちが起こる。
なぜ、チャチャとあのまま別れてしまったのか。
なぜ、仲良くなる努力をしなかったのか。
なぜ、もっと多くの時間を用意しなかったのか。

私にとってのチャチャの最期の記憶は、あの時のままである。
それはもう変わることがない。

(続く)

チャチャ・3

コメントをどうぞ

2005年までのチャチャについての記憶はかなりあいまいな部分が多い。
他のフレンドリーな犬たちの記憶に比べると、印象的なことはずいぶん少ないことに気が付く。
そんな、チャチャについての記憶がいきおい鮮明となってくるのは、この年の年末からだ。
2005年の年末、チャチャは初めての出産を迎えたのであった。

私が犬の出産を生まれて初めて見ることができたのも2005年の年末だった。
出産を見たのはサモエドのラーナ。コボやエニセイが生まれたときのものだった。
このことは「コボとエニセイの誕生日によせて」で詳しく書いたので、ここでは割愛する。

さて、チャチャが初めての出産を迎えたのは、ラーナが出産をした2005年12月22日の直後のことだった。
チャチャが妊娠しており、初産を迎えることは知っていたので、可能であればこちらも見たいところだったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。
しかし、無事に元気な子犬を出産したとの知らせを聞いたときは、とてもうれしかったのを覚えている。

2006年に入ると、私が王国に出かける頻度は急上昇した。
何しろ、生まれたばかりのラーナの子犬、そしてチャチャの子犬に会うことができるのだから、もう出かけずにはいられなかった。

サモエドと柴犬。どちらも立耳のスピッツタイプの犬だ。
成犬になると立派になり、愛玩犬種のような可愛らしさは無くなっていく。
そのせいだろうか。これらの犬種の子犬の時の可愛らしさは群を抜いているように思う。
成犬の立派な姿とは対照的に、半分垂れた耳にくりくりとした目を備えている。
まさに、可愛さそのものである。

こんな子犬たちだから、何回見ても、何時間見ていても、決して飽きるということがない。
このころの様子は、いまでもありありと思い出すことができる。
授乳中の子犬の独特の香り、乳を催促するときの可愛らしい鳴き声。
思い出すたびに笑顔になれる。

子犬たちを見ていて、叶うならば連れて帰りたいと何度も思ったものだった。
この5年後に、それが叶うとは夢にも思わなかった。
それもチャチャの子犬を。
出会いの不思議、そして出会えたことへの感謝を感じずにはいられない。

さて、チャチャの母親姿は立派なものだった。
初めての出産にも関わらず、母親としてこなすべきことを、しっかりとやり遂げていた。
それは、人見知りで慎重なチャチャとは、また違った姿であった。
母としての強さ、そしてたくましさを彼女のなかに感じることができた。

あれは、子犬が離乳を済ませてしばらくたったころだろうか。
私が、チャチャに初めて触れることができた日のことである。

確か、平日の雨まじりの天気の日だったと思う。
いつもよりも王国に訪れる人が少なく、閑散としていた。

いつものように、しゃがんで犬たちとのあいさつを交わしていた私の横に、1頭の柴犬がやってきた。
私は、その犬がどの犬であるかを確認するよりも先に、自分の手を差し出してにおいを嗅いでもらい、そしてその犬の毛を撫でていた。

私は、まず最初に、その犬がシグレかとと思った。
シグレというのは、チャチャやゴン吉の母親の名前である。
彼女はどうやら男性が苦手らしかったのだが、私の場合ほとんど初対面のころから嫌がる様子も見せずに触らせてくれていた。
私を男性と認めていなかったのか、それとも男性だが大丈夫だと思って気を許してくれたのかどうかは分からない。
理由はわからなくても、私に気を許してくれたというのはうれしかった。
そんなシグレが私は好きになり、王国に行ったときは必ず会うようにしていた犬である。
このとき王国のなかにいた柴犬のなかで、一番私に親しくしてくれたのがシグレだった。

シグレはゆめの祖母に当たる犬でもある。
ゆめの口元や目の雰囲気は、チャチャよりもシグレの方に似ているように感じる。
雰囲気や性格も、最近のゆめはシグレを思わせるところがあるので面白い。

さて、私のそばにやってきた犬は、シグレとはなんだか雰囲気が違っていた。
体型がシグレよりも細く、毛色も茶色が強かった。
まさかチャチャが自分からあいさつにやってくるとは思えず、その犬がチャチャだという結論を出すまでに、10秒ほどの時間がかかった。
その時には、もうチャチャはそばにはおらず、少し離れたところに立ってこちらを見ていた。

今度は私からチャチャに慎重に近づいてみたが、どうやらそれは嫌な様子だった。
また私から2~3メートル離れた場所に立ってこちらを見た後に、どこかへ行ってしまった。
そうかと思えば、また数分後にチャチャの方から私の方にやってきて、少しだけ撫でさせてくれたりした。

慎重なチャチャらしいなと思った。
でも、少しだけとはいえ私に気を許してくれたのは、とてもうれしい出来事だった。
きっと、チャチャの育児中に、頻繁に訪れては子犬を長い時間見ていた私に対して、彼女が慣れてくれたのかもしれなかった。 
あるいは、子犬の出産と育児を経験したことで、彼女の性格がいくらか変化していたのかもしれない。

このように、これまで触れることすらできなかった犬と仲良くなることができるというのは、犬好きの人間にとっては大きな喜びである。
とくに、他の人には気を許さないのに、自分に対してだけは仲良くしてくれるという状況になると、その喜びは何倍にも膨れ上がる。

実際にこの日も、チャチャは王国にあまり訪れたことがない人に対しては、決して近寄ろうとはせず、距離を取りながら逃げていたのである。
ずいぶん子どもじみた発想かもしれないが、「私には気を許してくれた」という優越感はかなり大きかった。
この日の記憶が、5年以上前のことなのに鮮明に記憶されているのは、多分そのせいなのかもしれない。

一方で、逆の立場に置かれた時の悔しさは相当なものである。
他の人には気を許してくれるのに、自分からは逃げてしまうというときだ。
こんな時は、その悔しさをバネに「絶対に仲良くなってやる」と誓う。

私にとっては、ゴン吉がそうだった。
彼もチャチャと同じく、人見知りな性格をしており、慣れた人にしか気を許そうとはしなかった。
私と同じように、ゴン吉と何とか仲良くなりたいと思う人が増え、しまいには「ゴン吉と仲良くなった記念写真コーナー」が作られていたほどだった。
もちろん、私もこの記念写真コーナーにいち早く仲間入りするよう、努力したのはいうまでもない。

ゴン吉は、このような取り組みが行われたためか、ずいぶん人気者になっていた。
一方で、チャチャにはそのような取り組みが行われることはなく、取り立てて人気者になるようなことはなかった。

その理由を考えてみたい。
まず、チャチャとゴン吉の人を見分ける能力の差だ。

ゴン吉は人を見分ける能力がずいぶんと高かったように思う。
一度、気を許しても大丈夫だと感じた人をしっかりと覚えており、他の人とはしっかりと区別することができていた。
その人数はかなりの数に達していたと思う。ゴン吉はその一人一人を覚えており、接する態度を変えているようだった。
私は、その能力の高さにずいぶん驚いたものであった。
おそらく、人の顔を覚えるのが苦手な私よりも、はるかに高い能力を持っていたのは間違いない。

一方で、チャチャの人を見分ける能力はゴン吉ほどではなかったように思う。
ある時は気を許していても、別の時はそのことをすっかり忘れてしまったかのように警戒することがあった。
私が思うに、それは彼女の単なるきまぐれによるものだったような気がしている。

次に、チャチャとゴン吉の人に対する接し方の差が考えられる。

ゴン吉は気を許した人には、態度が大きく変わるようなところがあったと思う。
いっしょにいて撫でられることを喜んだり、時には甘えるようなしぐさも見せていた。

一方、チャチャはゴン吉とは違って、人に甘えたりすることはあまりなかったように思う。
撫でられたときに尻尾を揺らして喜ぶようなしぐさをすることはあったのだが、次の瞬間に何事もなかったかのように人のそばを離れて、いつもの警戒モードに戻ってしまうことがあった。
親しげに近寄ってきたときも、手の届かない位置に立ち止まり、そのまま去ってしまうようなことがあった。
マイペースというべきか、考えていることがよく分からないような部分がチャチャにはあった。

また、顔による影響もあったのかもしれない。

ゴン吉がかなり美形で可愛い顔だちをしているのに対し、チャチャはどちらかといえばたくましい男顔をしていた。
ゴン吉がなぜか女性に人気があるように見えたのは、きっとそのせいなのかもしれない。

2006年、2007年と時を経るごとに、チャチャは少しずつ警戒のレベルが下がってきたように思う。
人前に姿を見せることも増え、人に気を許す機会も少しずつ増えて行った。

私に対しても、気を許してくれる機会がだんだん増えていき、私の方から接近を試みても逃げずにいてくれる時も多くなった。
しかし、チャチャと具体的にどんな交流をしたかについては、ほとんど覚えていない。
それは、日々のさりげない交流だったと思う。

この間、チャチャはさらに2回の出産を経験した。
どちらも安産で、すばらしい母親ぶりを見せてくれていた。

そして、2007年11月。
ムツゴロウ王国は東京での展開を終え、北海道に戻っていった。
悔しく、残念だった。
本当に良いものが万人受けするわけではないことを、思い知った出来事だった。

東京でチャチャに出会う機会はもうなくなり、必然的にそれが彼女との別れということになる。
チャチャだけではなく、他に親しくなった犬との別れでもあった。
でも、そのときにあまり悲しさは感じることはなかった。
北海道に行けば、また再会することができるのだ。
この時、私はすでに北海道を訪れる具体的な計画を考えていたのだった。

東京の王国でのチャチャのイメージは、私にとっては次の3つに集約できる。

それは、
「遠くからこちらを見て警戒している姿」
「時々見せてくれる親しげな姿」
「子犬を産み育てる母としての姿」
の3つである。

(続く)

チャチャ・2

コメントをどうぞ

私がチャチャに初めて出会ったのは、今から7年ほど前、2004年の初秋のことだ。
2004年は、ムツゴロウ動物王国が東京での展開を始めた年だった。

当時、私は高校生だった。
獣医大への進学を志し、勉強を始めたころだった。

ムツゴロウ動物王国については、幼少のころからテレビ番組で知っており、あの独特の雰囲気にいくらかのあこがれも抱いていた。
その動物王国が、自分が住んでいた場所の近くにやってきたのだからうれしい限りだった。
オープンしてすぐのころから、足しげく通い始めることになる。

ピースはこのころ1歳半だった。
彼の子犬時代がようやく終わり、彼との生活がちょうど落ち着いてきたところだった。

そのころの私は、「犬」という存在を、少しずつ学び始めていたころだった。
ピースの成長、そして生活を通して学ぶことできたものは多かった。
また、散歩仲間の犬たちにもたくさん出会っていた。
そして、犬に関する本であればジャンルを問わず、とにかく読み漁っていた。

そんななかで、王国の犬たちが見せてくれたものは、私にとっては衝撃的だった。
多数の犬たちが放された状態で暮らしており、それぞれがお互いの力関係を意識している様子だった。
その姿は、家庭で飼われている一頭だけの犬、または飼い主と犬という一対一の関係とは、全く違ったものだった。
私はそこで、「犬」という存在の奥深さを初めて目の当たりにすることができた。
この場所で、私が犬について学ぶことができたものはとても多い。
まさに、王国は私にとって「犬」を学ぶスタート地点であったといえる。

私が、チャチャに初めて出会ったのも、この東京ムツゴロウ動物王国の中でのことだった。
自由に放されている多くの犬たちから隔離された小さな柵のなかに、2頭の柴犬がいた。
それがチャチャと、兄弟のゴン吉だった。
2頭は、柵の外にいるフレンドリーな犬たちとは明らかに様子が違った。
その小さな柵の中には人が入ってこられないにも関わらず、柵の近くに人が近づくとさらに物陰に身を隠すように逃げていた。
チャチャとゴン吉はとても人見知りな性格をしていた。

一方で、チャチャとゴン吉の兄弟であるラッキーはとても人懐こい性格をしていた。
2頭がいる柵の外を自由に歩き回り、出会った人に愛嬌を振りまいていた。
兄弟であるにも関わらず、なぜここまで性格が違うのか、私は不思議に思ったものだった。

チャチャとゴン吉、そしてラッキーは同じときに生まれた兄弟ではあったが、育ってきた環境が異なっていた。
ラッキーは人がたくさんいる室内で過ごす時間が長かったのに対し、チャチャとゴン吉はあまり人の接触がない柵の中で育ってきたそうだ。
その結果、ラッキーは人が大好きな犬になったのに対し、チャチャとゴン吉は慣れた人にしか気を許さない警戒心の強さを備えてしまったのだという。
私は、育ってきた環境の違いが、これほどまで犬の性格に影響を与えることに驚いてしまった。

私のチャチャに対する第一印象は「人見知りの犬」だった。
柴犬という犬種が持っている番犬気質と警戒心。
チャチャにはそれがしっかりと備わっていることを感じたものだった。

思えばこのころのチャチャはまだ1歳になったばかりだった。
ゆめは今、生後7ヶ月になったところなので、もうすぐこのころのチャチャの年齢に追いつくことになる。
もちろん、このころはチャチャの子であるゆめが我が家にやってくることなど、それこそ夢にも思っていなかった。

2005年になると、チャチャとゴン吉が隔離柵の中から出され、自由に放されることが時々あったように記憶している。
自由にされても2頭の様子は柵の中にいるときと同じだった。
慣れたスタッフ以外の人には決して近寄ろうとはせず、常に安全な距離をとって行動していた。
安全な距離とは、他の人が近づいたときにすぐに逃げることのできる距離である。
その安全な距離よりも近くに近づいてしまうと、2頭は一目散に建物の影やヤブのなかに逃げてしまった。

このころのチャチャの姿が、彼女のイメージとして私の中に強く残っている。
その姿とは、「遠くからこちらの様子をうかがう姿」である。

四肢を緊張させて立ち、鋭い目でこちらをじっと見ている。
尾はくるりと巻き上がり、豊かななふくらみを持って背中の上に背負われている。
首輪は赤色。ややオスらしい顔だちにその首輪はとても良く似合っていた。

それは、人に慣れて甘えてくるような犬とは、また違ったすばらしさがあった。
例えるならば、臆病ながら自分の姿を貫いて生きる野生動物に通ずるところがあった。
私は、そんなチャチャのりりしい姿が好きだった。

最近はゆめも、幼いながらに時々そのような姿を見せるときがある。
遠くにいる鳥を見つめるとき、不審な動きをするものに警戒して吠えるときなどだ。
私は、そんなゆめの姿を見るたびに、このころのチャチャの姿を思い出す。

記憶をたどっているうちに、ピースとチャチャが会ったことがあるの思い出した。
いや、会ったことがあるとはいえないかもしれない。
正確には、「ピースとチャチャは数メートルの距離まで近づいたことがある」というべきだろう。

このころから、王国ではドッグランがオープンしていた。
基本的には、ドッグランにやってきた犬同士が遊ぶ場として用意されていたが、数頭の王国の犬たちもドッグランに来ていることが多かった。
その犬たちの中にチャチャがいた。

ピースは王国のドッグランに何回か遊びにいったことがある。
社会性不足で臆病なピースは、他の犬たちのあいさつに耐えることできず、いつもベンチの上に逃げていた。
このころ私は、ピースに何としても他の犬とあいさつができるようになってほしいと思っていた。
ドッグラン以外にも、犬が集まる公園に出かけたりと、他の犬に慣れる機会をたくさん設けるように心がけていた。
その結果として、あまり劇的な変化が現れたわけではなかったが、多少は他の犬とにおいを嗅ぎ合うようなそぶりを見せるまでにはなった。
このころの経験がなければ、おそらくピースはいま以上に臆病な犬のままでいただろうと思う。

ドッグランの中にいるチャチャは、基本的にはドッグランにいないときと同じような行動をしているように見えた。
慣れていない人には決して近寄ろうとせず、無理に近づこうとすると逃げてしまっていた。
しかし、やってきた犬たちとのあいさつ行動はしっかりとこなしているようだった。

チャチャはきっと、ベンチの上に逃げている臆病なピースを遠くから見ていたことだろう。
記憶があいまいだが、もしかしたらそんなピースのにおいぐらいは嗅いでいたのかもしれない。

(続く)

Older Entries